紫陽花便り

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「家族という暴力」1

そらまめさんから紹介された芹沢俊介氏の本。

たまたま書店にあった「家族という暴力」を読みました。



読後は、というと、が~んと脳天を打たれた感じ。

とてもきついです。暴力、虐待が自分に内在するものであることを知らされたからです。



虐待って聞くと、目で見える形の暴力を思い出しますよね。たたく、暴言を吐く、ネグレクト。

そういう虐待をしている母親はもちろんいるでしょうが、それより普通のお母さん、教育熱心なお母さん、子供が大好きなお母さん、であるあなたがもしかして見えない虐待をしているとしたら。見える虐待の氷山の下には見えない虐待が潜在化しているのです。



虐待という言葉自体が私には強烈で否定したくてしょうがないのですが、筆者の言う事にもしかして普通のお母さんにも当てはまっているのかもしれないと思うところがありました。



筆者は例えば、リストカットを繰り返す不登校になってしまった17才の女の子を例に出しています。

小学生前から、母親からお稽古事を5つもやるよういわれ、友達と遊べない。ひとつでいいからやめさせて、という子供の要求に対し、「どうしてあなたはお母さんを困らせるの?」二度と言わなかった彼女は中高一貫に合格後、13歳で登校拒否へと向かってしまったと。相談者から5つもの習い事をさせた理由を、母親は、娘が「人並み」から遅れをとらないようにと考えたと説明したのです。



筆者は、これは親の思いである「人並み」という視点から言えば虐待的とは言えないかもしれない。でも子供が遊ぶ時間がない、と訴えたときに拒絶され「いい子」であることを求め続けられたという点で、子供からの視点で虐待と言えるのではないか、と言っています。



普通に、不自由無く、人並みに、育っていってほしい。



こういう思いを責めることはできません。

私だっていつも思ってしまうことです。

でもそれが子供を無視しての勝手な思いだとしたら。

この17歳の女の子の話は決して自分と関係ない世界で起きたと言えないものです。

とても衝撃的です。



まだ続きます。


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あじさい

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音楽とビールが相変わらずスキです。どうぞ宜しく。

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